ステップファミリーの崩壊や離婚を嘆いている方に

バナーテキスト

広告 家族

ステップファミリーの崩壊や離婚を嘆いている方に

※当サイトは広告を含む場合があります

「ステップファミリー」に関して、「崩壊」や「離婚」の検索でこちらのブログにおいでになる方がおられます。

連れ子と血のつながらない親の同居は複雑ではありますが、楽しいことも必ずあります。

しかし、うまくいかないことも、これもまた自然なことでもあるのです。

スポンサーリンク




ステップファミリーとは。その定義

ステップファミリーとは、最初から家族成員に子どもが含まれている家庭だということですね。

親とその親の子どもに、継母や継父が加わった、血のつながらない親子を含む家族、それがステップファミリーです。

ステップファミリーは「1+1+@」

普通の結婚であっても「1+1」が必ずしもうまくいくとは限りません。

まして再婚同士となると、それも難しい面があります。

初婚の時と、家族の数は変わらなくても、心理的な期待も不安も大きいものですね。

まして、ステップファミリーとなれば、「1+1+子ども1」または、「1+1+子ども2」だったりします。

これは嫁姑が同居する時も、親と子の構成は似ていて、家族成員の数が多ければ多いほど、束ねるのは難しくなるのですね。

連れ子と親のグループ化

もう一つは、上記がさらに複雑になるもので、両方が子連れである、「1+子ども1」「1+子ども2」などが合わさった家庭という例も近年では多くなっています。

たとえば、シェアハウスみたいに、全部バラバラの人が集まって同居するということならいいけれども、ステップファミリーの場合は、最初から血縁と非血縁という形でグループができていることになります

嫁が婚家に同居する場合の上下関係

特にお嫁さん(という言い方は好きではありませんが、便宜上そういうと)が婚家に当居する場合に困るのは下のような点です。

お嫁さんが、夫の両親と同居する場合も、部分的に家族成員が最初からグループ化していることになります。

血縁と非血縁が混じり、それが複数になった場合は、どうしても、考え方が異なったり、偏ったりすることが明確になります。

血縁と非血縁でも全然かまわないのですが、「数が多い方が必然的に上になる」あるいは、「古くからその家にいる人が上になる」という上下関係が、必然的に家庭に生じることが困りものなのです。

 

親子も夫婦も人と人

ステップファミリーにかかわらず、人と人は相性であり、縁でもあります。

夫とそれぞれの子どもを交えれば、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。うまくいかなくても、やむを得ないこともあるのです。

これは自分の子供であっても同じです。小さい時は目立たないだけです。親子で不仲である例などはざらにあります。

「崩壊」ではなく「同居の解消」

ステップファミリーでうまくいかなかった場合の離婚は、言ってみれば「崩壊」といえば「崩壊」なのですけれども、単に同居をしていたのを解消するということです。

相性が合わなければそうなることもある。あまり悲劇的に考える必要はないと思います。

万が一うまくいかないなと思った場合、それなりの努力をすることは必要です。しかし、必要以上の犠牲は努力とは違いますね。

無理をしても努力しようという場合は、それに見合うものがある、たとえば環境の保持とか、金銭的な見返りなどがあるという時だけです。いわゆる「割り切り」ということです。

もっとも、結婚存続させるのに、「お金のため」や「子どものため」という理由はよく聞くのですけれども、本当にそうなのかどうか。

自分の思い切れない部分を、何かのせいにしてはいないか。それもよく考えてみる必要があると思います。

結婚を解消する目安

結婚を解消する目安の一つは、「どうやっても解決しない問題がある」場合かどうかです。

金銭的な問題、配偶者のDV、借金、依存症などの治癒が見込めない病気のために疎通が取れないなどなど。

上にあげたもの全部とは言いませんが、努力をしても解決しない問題に労力を使うなら、別なことに振り向けた方がいい。建設的な考え方をするべきです。

離婚は、崩壊ではありません。解決策の一つでもあります。

 

家族の問題は所詮小さなことでしかない

家族の問題というのは、たった一家族の問題であり、相手はたかが人なのです。

会社がつぶれて、たくさんの人が苦しむというような規模の大きなものではない。

難しいな、無理だなと思ったら、離れればそれで問題は解決します。

家庭内の問題は、最終的にはそれだけで解決するものなのです。一生ついて回るようなものではありません。

 

受け身にならず積極的に「崩壊」させよう

 

私は、母が2回結婚をしたため、娘の立場で2つの家庭が実質的に「崩壊」するという場面に立ち合い、自分自身も離婚を経験しました。

金銭的には、母も私もそれほどの傷はありませんでしたが、心理的な面では、相手方をも含めて、関わった誰もがかなり打撃を受けたと思います。

しかし、それは家庭が崩壊したため、離婚を選択したためではないのです。

離婚を選択せざるを得ないような家庭の状況そのものが、言ってみれば悲惨だったということなのです。

それに気がついたら、恐れることはありません。改善のために前に進みましょう。

誰でも自分を守る権利があるのです。耐えられないことに病気になるまで我慢する必要はないのです。疲れ切ってしまうまで頑張る人が多過ぎます。

「崩壊」ということではないのです。離婚は一つの選択でしかありません。崩壊するまで頑張ったというのは、つまり、そこまでの過程が無理をしてやり過ぎているからなのです。

 

離婚が子どもにとっていい場合も

 

今思い返すと、両親は、離婚の前、というより、母が離婚を決めてから、朝帰りなどをして、かなり仲が悪くなりました。

子供の立場から言いますと、そういう場面を見るよりも、早くに離婚してくれればよかったのにと、今になって思います。

両親が仲が悪くないときでも、父が怒鳴ったり、家族を殴ったりするのは以前からありました。

どう考えても駄目な夫との結婚生活の維持に労力を使うのは無駄なことです。

離婚を考えたら、引き伸ばさずに早い方がいい。精神的な安定を保てる方ならば、母子家庭であっても自分たちを守る方に力を使い、単身なら尚更、自分自身のために頑張った方がいいと思います。

再生する家族

家庭の崩壊を見てきた私は、同時に再生の場面にも繰り返し立ち合うことになりました。母が2度、私自身が未入籍ながら1度です。

しかしながら、私は「崩壊」の度にまた、傷ついた人々が、新しい家族を得て喜ぶ様にも人一倍立ち会ってきました。

それは、まるで、冬になると葉を落としていた気が、春になってまた芽吹き始めるように、自然なものでもあったように思い返されます。

だいじょうぶ、人も家族も何度でも再生できます。必ずまた芽吹きの春が来ます。

やがて来る春のためには、木が完全に枯れてしまうまで頑張らないでいてほしいのです。

終わりに―柔らかな心をもって

ステップファミリーというのは、ある意味、血縁に固定されているわけではないフレキシブルな家族であり、環境です。

ある意味、変則的な家庭ですから、通常の考え方が適応できないこともあります。

ステップファミリーでは、むしろ固定観念にはとらわれずに、心をゆるやかに保つようにしましょう。「崩壊」だと思うのは、気持ちの上のことだけなのです。うまくいかなかったとしても、元の形に還るだけなのですから。

そう、泣かないで。




関連記事

-家族