「あたし、おかあさんだから」、今日の朝日新聞の「声」欄に話題になった歌の歌詞につながるような、お母さんからの子育ての心境を伝える投稿が掲載されました。
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育児中の「母」の心境を伝える投稿
投稿者は2歳児の子育て中の31歳のお母さん。投稿のタイトルは「イラついてごめん…でもいつか」というものです。
投稿文内容
――子どもにごめん、家族にごめん。私の中はいつもごめんでいっぱいだ。
と投稿文は、子どもと家族への贖罪の言葉で始まり、息苦しさと、お母さんがいっぱいいっぱいの状態であることが伝わってきます。
――子どもと遊ぶのはつまらない。子どものためにご飯を作るのは面倒くさい。私の作ったおにぎりは残すのにコンビニのものは完食する。
2歳児と遊ぶのは、お母さんためではなく、子どものために「遊んであげる」ということになり「つまらない」と感じるようです。
ご飯はこれは、やはり大人のものと違って、子どもの食べられるもの、子どもの好むものを優先するようになってしまいますね。
――いつもいつも子どもが優先。
何をするにしても子どものことを考えなければならない。そう、この方は感じていて、なんといっても、大変なのは、これがまだまだずっと続くということなのですね。
――夜はぐっすり寝たいし、ご飯もゆっくり食べたい。お風呂だってちゃんと入りたいし、トイレも自分のタイミングで行きたい。
ちょっとの間も気が抜けないことはとてもたいへんです。
でも、今が2歳ですから、もう少しすると幼稚園に入れるかな。
思いを吐き出しながら、「お母さん」は「でも子どもは時に予想を超える反応を見せる」とも、子どもの反応を思い返していもいます。
――いつか笑って遊べる日が来るかもしれない。ありがとうで満たされる日が来ますよう。強くていつも笑っている母親になれますよう。今そんな気持ちで子育てをしている。
投稿の分はここで終わります。この、お母さんはこれでいいと思います。もう、謝らないで。
強いお母さんじゃなくてもいいじゃない。たいへんだなって思うのも自然じゃないのかな。
このままお子さんと進んで行ってほしいです。
ステップファミリーの立場から考える
しかし、これを読み終わって、最終段に来たところで、ステップファミリーの「母」である私はふと考えました。
子育て中のお母さんはとにかくたいへんです。
しかし、ステップファミリーのお母さんはどうだろう。
このお母さんとは別種のたいへんさがあるのではないだろうか。
ステップファミリーに相手の「ありがとう」はない
いちばん気になったのは最後の段の
ありがとうで満たされる日が来ますよう。
というところです。
このお母さんは、子どもと血がつながっていますから、ある意味自然にこのように思われるんですね。
もう少し言えば、血のつながっている子どもであるから、見返りがあると思っている、そのような期待があるわけです。
自分は、これだけやった、だから子どもからも返ってくる。
いわゆる日本の義理人情の世界のような、持ちつ持たれつの関係が、まだ子どもが意志もおぼつかない2歳であるのに、そこに想定されているわけです。
血のつながる親しい親子なればこそ、このような他者の心境の想定、心理学では投影、土井健郎の言葉なら「甘え」という日本独自の観念が見え隠れしています。
ステップファミリーに見返りはない 求めない
ですが、ステップファミリーでは、基本的に「ありがとう」はありません。そう思った方がいいと思います。
血のつながらないということは、義理人情や甘えのない「個」と「個」の世界だと思った方がいいと思うのです。
そもそも、年端もゆかない子どもがお返しをするなとどいうことは考えつきません。
その子が大人になったとき、あるいは、関係が良ければ、そのように思いつくこともあるかもしれませんが、それは将来強要するようなことではない、義理母と子においては、期待や要求ができるような間柄ではないのです。
お返しの要求は子の親にする
相手が子どもである以上、子どもからの「お返し」はありません。お返しがあるとしたら、要求できるのは、子の親である配偶者です。
それ以外は、お母さんが大人である以上、こちらがやってあげて、当たり前とみなされます。足りなければ「愛情がない」などと言われることもあります。
対象者が子どものなので、配偶者とその親族は、子どもを代弁して言っているつもりが多いのですが、人に言われるのは不愉快なものです。
愛情はスキルと心得る
たとえば、「愛情」が必要とみなされている職業のことを考えてみてください
病院の看護師さんはとてもやさしく、親身に面倒を見てくれていますが、あれは患者さんに「愛情」を持っているためではありません。
けれども、上手な看護師さんは、そのようなことを相手に感じさせるまでもなく、十分に面倒を見てくれています。
看護師さんにとっては、それは仕事なのです。その場合の「愛情」に見えるものは、実は看護師としてのスキルだということを思い出してみましょう。
不可欠なのは愛情ではない
ステップマザーにとって大切なことは、抽象的な愛情云々という議論ではありません。
逆に言えば普通のお母さんで子どもが可愛い人はたくさんいますが、ずぼらな人もいるわけです。
それでは子どものケアは行き届きません。逆に言えば、ステップ母の場合は、「愛情」という要素は、隠れ蓑には使えませんね。
ステップマザーはやるべきことをきちんとする必要があります。この場合の「やるべきこと」というのは家事や世話のことではありません。
看護師さんのように、子どもには笑みながら、やさしく話しかける、そして必要なことをする、相手をぞんざいに扱わない、そのような態度のことを含めてです。
料理が下手でも、洗濯がよれよれでも、それは単なる家事が下手だというで、子どもとの間に直接かかわるものではありません。
そうではなくて、ステップマザーには若干の対人的なスキルが必要なものといえます。
まとめ
投稿を見て、思わぬことに連想がつながってしまいました。
でも、この投稿からいろいろなヒントをもらうことができました。
ステップマザーのお母さんも、子育て中のお母さんも、どちらにもエールを送りたい気持です。