「死後離婚」とは何でしょうか。夫が死んだ後にも離婚が必要な理由とは?
朝日新聞のお正月のシリーズ「家族って」に載っていた記事に次のようなものがありました。
「嫁」もういやだ、縁切った 苦しんだ30年、「死後離婚」届け出
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夫の家族との「離婚」
実家が農業をしている男性と結婚して同居となったが、農業を手伝わないことで不満を向けられたと始まります。
夫の実家では、夫と義父の前に炊きたてのご飯、女性と義母には残り物の冷たいご飯がよそわれた。「母親が冷や飯を食べているのに、なんとも思わないの」と夫に尋ねると「なんでだ?」と返ってきた。入浴は義母に続いて女性が最後で、風呂掃除もセット。「『嫁』は家で序列が一番下だ」と分かった。
夫からは「所有物」のように扱われた。子どもが小学生になったのを機にパートに出ようとすると、「男のいない職場にしろ」と言われた。化粧やスカートは禁止。具合が悪くて寝込んでいると、「飯はどうするんだよ?」。
離婚を考えて母親に相談すると、子どものことを理由に「死んだつもりで我慢するしかない」とつれなかった。
この方はその後夫が若くして志望。その後、姻族関係終了届、俗に「死後離婚」という手続きを行い、夫の両親との親族関係を絶ったということです。
暴力だけではなく精神的なDVも
この記事のテーマそのものは、夫の親族との関係を問題として扱ったものなので、そういう言葉は出てこないのですが、要はこれはDVだといっていいと思います。
DVというのは必ずしも暴力を指すのではありません。上記のように、自分の行動を規制されたり従わされたりすることもそのうちに入ります
精神的なDVは判別が難しい
DVは家庭の中の問題なので、そうなのかどうかの意識や判別が難しいのです。
相談員に「殴られているなら簡単なんですけれどもね」とも言われたことがあります。
以前節約術の本を読んでいたら、数年間で数百万円貯めて、家を建てたという著者は、朝夫の分と一緒にお弁当を作って、お昼になったら火を使わずにそれを食べる、ということでした。
温めたかどうかわかりませんが、自分で節約のために自発的にそうしようというのなら問題ないでしょう。
そういう場合は、冷ご飯を食べるという婚家の考え方も一つのアイディアだと思って抵抗もないかもしれません。
しかし、上の方の場合は、冷ご飯を食べるのは嫌なのにも関わらず、それを強いられるという生活を送っておられたのです。
これはDVの範囲に入ると思います。
性別に対する先入観と偏見 ジェンダーバイアス
そして、もっとも問題なのは、「女性の地位が低い」とみなされていることです。
そのような通念をジェンダーバイアスといい、家庭ばかりでもなく社会にも、そして、意外なことに差別を受けている女性の側にもあります。
上の方の場合には「死んだつもりで我慢するしかない」というのは、これも当事者のお母さんの方にも、女性だからそれも仕方がないという考え方があるのでしょう。
当事者は二重の苦痛を負わされることになります。
DVの行為以上に、このような社会通念となっている意識を変えるのは、大きな課題です。
いわゆるフェミニストと呼ばれる人たちは長年、女性の社会的地位の低さを男性と同じにしようと戦ってきました。
そして、今の若い方の間では、そのような男女差は次第に減ってきたとも思います。
支配される家族関係などはない
なぜか、DVの家庭では、冷ご飯に対する指図は頻繁にあるようです。
私は夫のDVが理由で調停離婚をしたのですが、夫は家事を全くしないにも関わらず、残りご飯は、いついつにしろという指示があったと思い出します。
夫は会社に出かけるときには、私の使うパソコンのケーブルを抜いて、それをどこかに隠してから出かけるのが常でした。
車は自宅に2台ありましたが、何かの罰として、車のキーが取り上げられ、突然乗れないということになりました。
実家に行くのはいいが、私の親は家に入れないようにとも言われました。
調停の時に、「相手の方が地位が低い。だから何をやってもかまわないと思う相手と暮らすのが、いかに恐ろしいことであるか」ということをいいましたが、調停委員に伝わったどうかはわかりません。
DV被害者の精神的被害も軽く見ないで
そもそも家の中にいる人、家族が怖いという感覚は、普通の人は持たないと思います。
相手が病気だろうが、病気が悪くなろうが、食事は作れという。従わなければ怒鳴ってもいい、殴ってもいい。
自分の機嫌次第で、物を取り上げてもいいし、生活費を減らしてもいい。
そのような、一般とは基準のまったく外れた家庭という狭小世界で暮らすことで、被害者には大きな精神的被害がもたらされます。
人に恐れを持たせて、それによってコントロールするということは、内容が冷ご飯をどうするかということであったとしても、コントロールそれ自体が支配であり、それだけで加害なのです。
実害は少ないと言って軽視されがちですが、強いられることの内容ではなく、家庭の中での序列の方が問題です。
上下関係がある限り、従わなければ、もっと大きな報復が待っているかもしれないという恐れで、被害者は自分で自分を規制するようになり、やがてはそれが習慣化してしまいます。
PTSDからの長期的な意識と回復
私は今住んでいる家にも、実家の親を自由に連れてくることができません。叔母と母が用事で一度ずつ来たのみです。住んでいるのが婚家でなければ、違ったろうとも思います。
欲しいものがあっても買いませんし、服は夫の親にもらったもの、お下がりを着ています。汚い恰好をしている方が安心なのです。
このような影響は自分でもわかっていることもありますが、いつの間にかそれが自分の基準となってしまって、自分で自分にそれを課し続けているのだと気が付くことがあります。
自分はそうするのが当たり前となってしまっている場合、DVの影響、いわゆるPTSDからの回復を心に置く必要があります。
自分でもそれがわかりにくくなっている場合は、適切な機関で相談や助言を受けてみましょう。
DVの相談先は全国にある婦人相談所
もし、配偶者がDVでないか、あるいはDVかそうかわからなくても、利用できる「婦人相談所」という窓口があります。
聞き慣れない古めかしい名前の印象を持つかもしれませんが、古くから各県に一つずつ置かれています。
女性の生活全般について助言が受けられますので、まずは気軽に電話で相談してみることをお勧めします。
またDVの場合は、様々なサポートが受けられますし、離婚や別居が必要な場合も、受けられるかもしれない制度をあらかじめ聞いたり、相談することもできます。
暮らしにくいと思ったら、けっして我慢はしないでください。人が人を恐れを持って従わせるなどということがあってはなりません。
外に目を向けてみてください。男性に、あるいはパートナーに、肉体的にも心理的にも殴られない、いじめられないで暮らしている人はたくさんいます。
あなただけがそうできない理由などはどこにもありません。そう思い込まないで。
どうぞ自分をもっと大切にしてください。