秋篠宮家の眞子様と小室圭さんの婚約延期に続いて小室家の報道が続いていますね。
このブログにおいては、ゴシップネタではなくて、シングル家庭における子供と親との関係、それから婚約者のステップファザーの孤独という視点からも後ほど考えてみたいと思います。
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婚約者がメールを公開
秋篠宮家の紀子様が
「この方は、週刊誌にいつまでこのような発言を繰り返すのでしょうか。眞子の名誉も傷つきかねないでしょう!」
と秋篠宮との会話中に激怒されたとも報字られる通り、今度は小室さんのお母様の元婚約者という人が、小室圭さんとお母さんからのメールを次々に公開し始めました。
その中で、圭さんがお母さんの婚約者Aさんに送ったというメールが、やはりシングル家庭においての家族関係という点で、以前私が書いた内容を裏打ちするものでした。
祖父宛てのメールを婚約者に転載
Aさんに送ったメールは「こんばんは。実は先ほど、以下のメールを祖父に送りました。」という内容で始まります。
なぜ、祖父あてのメールをAさんに送ったのかというと、「同居を始めた祖父と母との関係がうまくいっていないことを心配し、A氏も事情に通じておくよう示唆したものだ」(記事)という通りなのです。
さらに、メールは次のように結ばれています。
「祖父が来ることになり、Aさんにもいろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、母のことをどうぞよろしくお願いします」
Aさんにお願いした内容とは
内容は一見些細なことで、一つがシャワーの水力がお祖父さまの好みではなさそうだが、母の電文で聞いたが、弱いものに取り替えないでくださいということ。
そしてもう一つ「節約の事に関してですが」
たとえば母が電気を消し忘れたりした場合でも責めないでください。母が責められるとそれがストレスになり、体調を壊し、仕事に影響し、僕の学業に影響するので、すべてが悪循環になります。
これ読むと、ああ、やはり、という感じがします。
小室さんはこれをわざわざ留学先から送ってきている。そして、それをさらにAさんにも頼んでいるわけですね。
そのくらいお母さんの精神状態を保つことに気持ちをすり減らさなくてはならない。そのように暮らしてきていたことがうかがえます。
他人ならともかく、お母さんの実のお父さん、祖父との仲に対してもこれだけの配慮をしないと、「自分の学業に影響する」とまで思い込んでいる。
しかも圭さんはこの時海外留学中なのであり、遠くに離れていてそれでもお母さんの精神状態の影響が自分に波及してしまうので、わざわざそれを転載して知らせてきているわけです。
母との過剰な同一化
お母さんはお母さんで、自分の親との関係を自分で解決できないのも問題ですが、むしろお母さんに圭さんの精神的安定が脅かされてしまうと圭さん自身が感じている方がはるかに問題なのです。
圭さんが
「母が責められるとそれがストレスになり・・・僕の学業に影響するので」というのは、「お母さん」を主語にして始まる記述ですが、圭さんの主観では、「お母さんが」として述べているものが「私が」のことでもあるのです。
自分がお母さんでもあるような、お母さんが自分でもあるような、やはり不思議なアイデンティティーを持っていると思われます。
わかりやすい言葉でいうと「共依存」という用語がありますが、それよりももっと「母の不安」がすぐ自分の不安に成り代わるような主客の区別のなさは、より問題が大きいのです。
感情共有の負のスパイル
「母が責められるとそれがストレスになり、体調を壊し、仕事に影響し、僕の学業に影響するので、すべてが悪循環になります」という負のスパイラルは、母子の不安の区別がついていない心性をそれをそのまま表すものです。
注意深く読むと、言葉によって伝えられるというような明確なものではない。お母さんの言葉のみならず口調とか、電話のありようとかで、注入されて、それがいつしか自分に成り代わってしまうような、その不思議な自分でも言い表しようのない共有の状態を「悪循環」と表現されているものと思われます。
おそらく、電話でのおかあさんとの会話中に、圭さんは主客の区別のつかない上記のような心境に陥ったのでしょう。
シャワーヘッドを取り替えるとか、電気を消し忘れるなど、自分に実害のないことで、普通の大学生が学業に差し支える程のストレスを予期不安として憶え、しかも実際にその場にいるのではなく、単に電話の会話の架空の案件を思い浮かべただけで、そのように自分に変化が生じてしまう。
それを脅迫的に防御しようとして、Aさんにメールを送った。
Aさんが「できるだけ手伝います」と返信すると、「米国は天気が良く、勉強に励んでおります。よろしくお願いします!」と、圭さんはその「学業を阻害する母」のイメージから逃れて、普通の自分の状態に戻ったことを伝えています。
家族成員の「世代間境界」とは
普通の家は祖父祖母がいると、それとは別な世代に父母が居て、子供はその下というように世代が対外的にも心理的にもはっきり分かれています。
祖父母と同居するときは、それらを区分の上、三世代同居と呼ばれます。
ですが、小室さんのおかあさんは自死によって旦那さんを失っている。お母さんは「祖父」のことは「パパ」と呼ぶそうです。これは自分のお父さんなので、別にいいと思います。
しかし、小室さんが、お母さんのお父さん、祖父を呼ぶときも「パパ」と呼ぶそうです。
取り上げているネットにしてみれば、パパという呼び名も含めて「なんか変」ということなのでしょうが、ここには二重の問題があります。
同一化と世代間境界の越境
圭さんが自分がお母さんと同じ言葉を使うことが、自然だと考えているということ。
ここに、硬固なお母さんへの同一化「母=私」があるのは述べた通りです。
さらに、もう一つ問題なのが、圭さんは自分が、三世代同居の子供世代ではなくて、その上の親世代に属すると考えているだろうことです。
通常、祖父母と自分の間の年代的な隔たりとその感覚は相当遠いものです。
小室さんにお父さんが居なくても、おじいさんを「パパ」、おばあさんに「ママ」と容易に呼び掛けられるようなものではないはずなのです。
お母さんと暮らし、お母さんに同一化することで、一般的には「老成」という言葉がありますが、どこか自分は親世代の側の人間だという感覚になっているところがあるのです。
「ここは僕の家」
それは上のメールの続きの文面からも顕著に見られます。
もう一度最初のメールに戻って、その続きを見てみましょう。
「悪循環になります」と母子の主客の区別のない負のスパイラルの心境を述べた後は、「複数で家に生活する際はこういった決まり事が大切だと思います。大前提としてここは僕の家ですのでルールはまもってくださるようよろしくお願いします。」
と、これを祖父宛てに書いた、ということをAさん宛てに転写しています。
「ここは僕の家ですので」について週刊現代は
まだ20歳だった青年が祖父に送ったメールとしては穏やかではないが、「ここは僕の家」という強い言葉が印象深い
としていますが、これは、圭さんが主張の強い人なのではなくて、精神的には自分が20歳だと考えておらず、自分が自分をお母さんと同じ同等の親の世代に属すると考えている、そのような錯覚があるということを示していると考えられます。
なぜそうするかというと、家庭内の問題がそう主張することで収まるというメリットがあるからでしょう。
祖父に対して、孫ではなく婿のように振舞うことで、そして母の夫のように振舞うことで問題が解決する。そのような役割が、お母さんにも、時には周囲にも受け入れられてきたので、定着することになってしまったのではないでしょうか。
「借りる」申し出が明言された母のメール
なお、公開されたメールの中には、お母さんのメールの方がはるかに多く、その中に「当分の生活費をお借りしてもいいでしょうか」そして、受け取った後は「振り込みはみずほで結構です。とりあえず10万円程お願いできますか」という文面が見られます。
これらのメールはすぐには公開に至りませんでした。その時点で、お母さんが自分で送ったメールの内容を回顧の上確認し、債権者(元婚約者のことですが)に対して適切な意思表示をしていたら、圭さんを矢面に立たせずに済んだのではないかと残念に思います。
圭さんは、結婚にあたって、新しいお父さんとなる人にお母さんを任せようとしていたところだったのではないでしょうか。
少なくても「母をよろしくお願いします」と言える相手ができたということは、圭さんが母の夫替わり、自分が自分の父替わりを降りられる大切な機会でした。
あるいは母の婚約が破談になったことで誰より傷ついたのは、圭さんだったのかもしれません。
そして母の婚約破談に続いて、圭さんの婚約も延期になったということは、あらためて説明するまでもないでしょう。