秋篠宮家の眞子様こと眞子内親王と小室圭さんのご婚約、一国民としてお慶び申し上げておりました。
が、納采の儀及びご結婚が延期となり、残念であると同時に、眞子様とご両親のご心中を深くお察し申し上げます。
人対人の出来事では常に様々なことが起こります。大人になった人なら皆知っていることだと思います。
報道をいくらか見聞きしていましたが、シングル家庭の親子関係という点についてのみ書いてみます。
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母親の金銭トラブル
今回のいちばん大きな問題は、小室さんのお母さん佳代さんが、元婚約者男性Aさんから約400万円の借金をしている、という相手方からの主張です。
受け渡しされたお金は、圭さんの大学入学金や授業料、留学費用などに当てられた。Aさんは、小室さん母との婚約破棄時にそれを返済してほしいと伝えましたが、佳代さんが拒否、そして圭さんが「もらったものだと思っている」と答えた。
その話し合いの際にも圭さんが同席したということらしいです。
佳代さんの金銭トラブル
これについて、宮内庁幹部は「それまでは佳代さんの金銭トラブルだったが、小室さん自身が『贈与』と答えたことが事実であれば、小室さんが問題の当事者になる」という見解のようです。
貸与にしても贈与にしても金銭の授受があったということは、佳代さんとAさんには男女の関係があったということでしょう。
男女の関係というのは、いわゆる肉体関係だけを指すのではなくて、婚約をしていたということを含めて、同性同士のような人間関係ではないという意味でです。
佳代さんとAさんがそうでなければ、Aさんから見て全くつながりのない圭さんに学費を出してあげるなどということは、まずあり得ません。
金銭の授受はあくまで、佳代さんとAさんとの間で婚姻を前提として行われたもの、佳代さんとAさんとの男女関係をベースに行われたものだと考えるのが当然だと思います。
「借金」は婚約破棄のネガ
さらに返済の請求は、佳代さんとAさんとの婚約破棄と同時に行われています。
この場合は「婚約」はどういうものであったのか、婚約を破棄したのがAさんであるとすれば、Aさんは佳代さんと結婚していたら請求するつもりはなかったのか、婚約破棄となったので、返済を求めるようになったのか。
そもそも、結婚を前提としてお金を渡したときの意思はどうだったのか。この辺りになると、もう少し当事者同士で話し合う機会を持つべきだと思います。
圭さんが返せという週刊誌の記事もありましたが、一概に圭さんが返すという話ではない。
そもそもAさんと圭さんだけの組み合わせなら、貸し借りが成り立つはずはないでしょう。その場合は、さすがに期限や利息の取り決めを入れた借用書が交わされたはずです。
機能不全家庭における世代間境界の曖昧さ
シングル家庭で親と子供だけだというと、子供がどちらかの親代わりになってしまうことが多くあります。
先日サッカーの梅崎司選手がDVのお父さんから離れて母親と弟と三人で暮らし始め、サッカー選手として大成するまでを記した自伝を出版しました。
この本の表紙には「その日、ぼくは父親になった」と刷られています。
もちろん、家族を大切にすることは立派なことで、少しも悪いことではありません。
しかし、子供は本来ならば家庭において経済的な庇護を含め、守られるべき立場にあるのが本当なのです。
他にも、お母さんがいない家庭、あるいはお母さんがいても、仕事で忙しければ、女の子は、お母さんに変わって料理が上手になるかもしれません。
お父さんが欠けていたり、不在がちであれば、男の子は、お父さんの代わりに、お母さんを助けようと思うかもしれないのです。
シングル家庭には限らず、家族成員にはそれぞれの役割があり、時にはそれを交換したり、補いながら暮らしています。しかしシングル家庭においては、どうしてもその負担が子供に多くかかってしまうことがある。
ここでいうのは経済的な面でのことではなくて、心理的な面でという意味でです。
そして、お父さんのような子供やお母さんのような子供ができてしまう、つまり、子供が自分自身の人生を生きられなくなってしまうということが問題なのです。
大人のように振舞う子供
圭さんの場合なら、お母さんは「母子家庭だから、圭の父親になる人が欲しい」と言ったといい、その通り、お父さんになってくれるような男性を求めた。
その時は圭さんはお母さんから見て「子供」の立場であるわけです。
しかし、いったん金銭トラブルが起きると、話し合いの場に圭さんも同席する。お母さんが連れて行ってしまったわけですね。
お母さんが「父親代わり」を求めていたはずの、「子供」の圭さんが、お母さんの都合で再び大人の位置に置かれてしまう。
圭さんがいくら「もらったと思っていました」といって、最初から圭さんにくれたと思う人はいません。
金銭トラブルは、あくまで男女の関係終了と共に起こるべくして起こった問題です。当事者でない圭さんが同席したとして、解決できるようなことであるはずもありません。
子供は子供の位置、親は親の位置、こういうのが世代間境界と呼ばれるものです。しかし上記のような越境が起きる環境ですと、子供は安心して子供でいることができません。
そして大人のように振舞っているうち、親の男女トラブルを自分のことのように負ってしまう。
つまり、お母さんの婚約破棄が、そのまま連鎖して圭さんのものになってしまい、不思議なことに、圭さん自身の婚約が延期になるということが起きます。
そして、圭さんが「借金を返したらいいだろう」と皆に言われるということになっているのが今の状況です。
優しい子供ほど影響を受けがちに
一方では、圭さんとお母さんはこれまでもずっとそういう風に助け合って生きてきたのに違いありません。
薄情な子供だったらそういう風にはならないのですね。
そして機能不全家庭においては、その方がむしろ「健康」に過ごせることもあるのです。
先のサッカー選手のように、いわゆる良い子、親にも優しい律義な子供ほど、お母さんを守ってあげなくちゃというように、自然にそう思わされてしまう。
子供はまったく違和感はなく、むしろ母にほめられたり頼られたりすることが誇らしく、進んでそういう役目を負ってしまう。
もう、その時点でそれは自分のためではないわけなのです。
家庭内という狭小空間、多く二者関係において、人に認められることで存在意義を得てしまうというのは、一見いいようですが、どこかで意識する必要があります。
そうでないと、結果として、子供でありながら母の夫であるような、あるいは自分自身が自らの父の立場であるような、母の婚約破棄を再現して母の借金を負うような、ひじょうに複雑なアイデンティティーを生きるようになってしまうのです。
終わりに
サッカー選手の梅崎さんの場合には、「家族を助けること」と「自分がサッカーで身を立てること」、つまり家族と自分の利益が、完全に一致していたのですね。
そしてその両方を達成しようとしたので、より頑張れたのだと思います。
とてもいいことだと思うけれども、でも、でもね、シングル家庭のお母さんもお子さんも、「そんなに頑張らなくっていいよ」って言ってあげたい。
そのままでいいよ。
そうすると、もうじき太陽が回って、陽が差してくるから。