BTSが2022年のグラミー賞を取れるかどうかが注目の的となっていましたが、2年連続で受賞を逃す結果となりました。
BTSがグラミー賞を取れなかったのはなぜだったのか。その理由を考えます。
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BTSのファン

By Michael Stern - Wall_Food_10060, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45792196
実は私はBTSのファンのひとりです。
最初に見た時は特にピンと来なかったのですが、そのあと、バターとダイナマイト、パーミッショントゥーダンスの順番で見てから、いわゆる”沼に落ちた”状態になりました。
メンバー全員が、それぞれの特徴があって、みんな好きなのですが、ホビのダンスには目を引かれ、ソロのチキンヌードルスープも好きで見ています。
あとは、V=テテの美貌、ジミンのかわいらしさと優れたダンスパフォーマンス、RMの聡明さトラップ、SUGAのラップの切れ、正統派の魅力を持つジンと、誰が歌っているのを見ても、みんな好きです。
それで、グラミー賞の日は、なんとなくそわそわして、速報に注意をしていました。
BTSがグラミー賞を逃す結果に
ところが、伝わったのは、BTSが受賞できなかったというニュースでした。
アメリカの音楽界で最高の栄誉とされる「グラミー賞」の授賞式が開かれ、韓国のBTSの楽曲「Butter」が受賞を逃しました。BTSは今年の「最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス部門」でノミネートされていて韓国のポップ歌手として初めての受賞となるのか注目されていました。BTSは去年、ヒット曲「ダイナマイト」で初めてノミネートされていて、2年連続で受賞を逃したことになります。―FNNオンライン
すごく期待していたわけではないのですが、やはりちょっと残念。
そして、「なぜ」の疑問も当然起きてきました。
そもそもBTSNの人気と評価はというと、Billboard Global チャートで年間4曲がランクイン。
その全曲がNo.1になったというのですから、大変な快挙です。
グラミー賞に期待がかかっても当然と言えます。
BTSはなぜグラミー賞を取れなかったのか
”偉業”を成し遂げたかに見えるBTSですが、グラミー賞は取れなかった…それはなぜだったのか。
私自身がファンだと、身近過ぎてわかりにくくなっている点があるのですが、ここは冷静に考えてみました。
グラミー賞はアメリカの賞
まず、グラミー賞は、アメリカの由緒ある音楽賞です。
BTSは韓国人ですので、外国人ということになりますね。
賞とはいっても、結果は当然音楽ビジネスに反映します。
アメリカの賞ですので、自国の音楽産業に利益が還元されなければ、賞を設けている意味がありません。
その点では、やはり、音楽やパフォーマンスだけではなくて、そのような条件を満たしている自国のミュージシャンがふさわしいのは仕方がないともいえます。
グラミー賞に「人種差別」がある?
もう一つ、よく言われるのが、「グラミー賞には人種差別がある」という点です。
グラミー賞は、白人が多く受賞するなどこれまでにも多く言われてきましたが、あまり気にしても仕方がないことのように思います。
また、シルクソニックのように、メンバーが韓国系のアンダーソン・パクと、プエルトリコユダヤ系とスペイン人の両親を持つブルーノ・マーズのようないわゆるアメリカ人ではないシンガーもいますので、ビッグネームとなれば、差別も関係はなさそうです。
BTSに関しても「差別」はいつも話題になりますが、「差別」とは言わないまでも、「外国人」の区別の意識は生じても当然だとは思います。
BTSの歌詞の問題
音楽は万国共通、とはいえ、BTSの場合には、歌詞の言語は一つの課題だと思います。
BTSは、元々ヒップホップグループだったので、多くラップの部分はどうしても自国語となります。
英語圏でBTSをよく知らない人が曲を聴いたときに、歌詞が即座に全部わかるのと、全部、または一部が外国語でよくわからないとなれば、どちらが浸透しやすいかは、言うまでもありません。
内容はともかくとして、意味の分からない外国語は、ストレートなメッセージ性には欠けてしまいます。
また、最近のヒット曲はともかく、以前のパフォーマンスは民族性が強いものも多いことも知られています。
BTSが世界を目指して、グローバルな音楽性を目指すようになったのは、あくまで最近のことで、この辺りは、これからのBTSのコンセプトのネックとなる部分だろうなと思います。
音楽の芸術性
あともう一つは、受賞を逃した理由として、音楽それ自体の内容、要求される芸術性の高さもやはり指摘されました。
Dinamiteもそうでしたが、Butterも、ディスコ調のポップスで、ラップを含み、ダンスパフォーマンスのウエイトが大きな曲です。
それだから世界にアピールが出来たわけですが、これらの曲は、”芸術性は高くない”といわれてしまうようです。
これは曲が悪いというのではなく、コンセプトの違いだと思います。
BTSの今の曲は、皆のアイドルとして親しまれるため、まずは多くの人に聞いてもらおう、曲に乗ってもらおうという目的で作られています。
Permission To Danceをあげるとわかりやすいですが、「みんなで踊るような曲」と、「皆が耳を傾けて聞き入る曲」では違いがあります。
今回のButterの場合は、歌詞を思い出してもわかる通り、「BTSの魅力を世界にアピールするための曲」で、アーミーとのつながりもその中に含まれているのも特徴的です。
そして、BTSの場合は、曲調だけではなく、立ち位置自体がシンガーではなく、アイドルの位置にあるといった方がいいかもしれません。
私自身はファンとしてそれで充分なのですが、これからの方向性は、今後BTSが既に考えているところだろうと思います。
アメリカの音楽の多様さ
あと、一連のグラミー賞受賞作品を見ていて、アメリカの音楽のジャンルの多様さと幅広さもつくづく感じました。
他の国とは比べ物にならないアメリカの音楽市場の大きさ、それゆえに、ミュージシャンとそれに関わる人の層の厚さと技術力の高さは、一朝一夕で及ぶものではありません。
韓国から世界へ躍り出たBTSの躍進ぶりは、もちろん特筆すべきところなのですが、やはり、世界は広いなあと改めて感じたというところも付記しておきます。
BTSにグラミー賞は必要か
上に「グローバルな音楽」と書きましたが、本国韓国はもちろん、日本においてもBTSの音楽に、”グローバル化”は本当に必要なことかと考えると、答えは否です。
BTSの場合、むしろ同じ”アジア的”であるところ、その共通性が日本におけるBTSをなじみ深いものとしており、日本での人気の元となっているところは大いにあると思います。
BTSがグラミー賞を取るには、いろいろ考えるべきところはあります。
しかし、BTS自身はともかく、BTSファンが、他国のグラミー賞に執着する必要はあまりない気もしてきました。
そして、言うまでもなく、BTSのファンなら、賞を採ろうが採るまいが、ファンであること、アーミーであることは変わらないよ、というと思うのです。
今回のグラミー賞の報道で、一人でもおおくBTSNおファンが増えることを願っています。