こんにちは。秋の気持ち良さを満喫しているなな子です。
11月2日は私の誕生日でした。夫がビンクのシクラメンの鉢植えをプレゼントしてくれました。
義理の親の愛情を試そうとする子ども
子どものいくらかは、新しい親に慣れてくると、自分が本当に愛されているのかどうかという問いを持ち、それで親を試そうとします。
小さい子なら、拗ねる程度に見えるような可愛らしい行動であることもありますが、年長の子どもは、反抗的な態度や、対外的にもわかる非行という行為に出ることもあります。
後者の方が問題は大きく見えますが、それは子供の年齢によるもので、心の中身は同じです。
そうはいっても、新しく来たお父さん、特にお母さんは、子どもの態度に悩むと思います。自分が悪かったのかと思うかもしれないし、子どものことも嫌いになってしまうかもしれません。
そのような時でも、子どもの目線になってあげること、そして、子どもと同じレベルになってしまわないことです。
なぜなら、子どもがそのような行為をするときは、まず親の反応を引き出すことが目的だからです。
親が愛してくれているといううれしい気持ち、親に愛されていないというさびしい気持ち――--子どもが知りたいのは、継母がどんな人か、どう思うかということではなくて、その気持ちのそのどちらに自分がなったらいいかということ、自分では決めかねている自分のあり様、そのことなのです。
複雑な感情を言語化できるまで
欠損家庭、片親で育った子どもは、さびしい気持ちを知っています。
お母さんに別れてしまった子どもは、今度のお母さんも自分を嫌いになって、置いていってしまわないか、臆病になっています。
心を許してしまってもいいのかという問いが自分の中にあるのかもしれません。
ある程度年長になると、実は甘えたいのに甘えられないために、行動が複雑になることもあります。かんたんに子ども返りができない年齢ほど深刻です。
小さい子どもなら、言葉を使わないコミュニケーション、すなわちスキンシップが効果的なことがありますが、大きい子供ではそうはできません。
そして、年長の子どもであっても、複雑な感情を言語化できるようになるにはまだ間があります。
というより、もやもやした気持ちがあってもそれを意識できないでいることも多いのです。
成長に不可欠な母親の共感的な反応
そもそも、子どもが感情を言語化できるようになるまでには、幼児期から長いスパンで、保護者が子供の感情を受けとめて、それを言葉で返してあげるというプロセスを経ています。
様子を見てそれと察し、子どもが寂しそうにしていれば「なな子ちゃんは、お友達に会えなくて寂しいのね」と言ってあげることで、子どもははじめて自分の感情を認識できるようになります。
このとき大事なのは、同時に子供自身が、他者に共感されたという体験を持つことです。それによって、子どもは自分の感情を肯定的に受け止めることができるようになる―――
そのような繰り返しが、人格形成のベースになるわけです。
子供の成育環境によっては、このプロセスが不十分な場合があり、その場合は長い時間をかけた育て直しが必要になる場合もあります。
いわゆる「愛着障害」と呼ばれるものがそうです。
「自分が愛されているのか、いないのか」の問い
「自分が愛されている、いない」の問いは人間関係の様々なシーンで、誰もが経験があることでしょう。
特に恋愛の時の問いは切実なものになります。思いを寄せる相手に受け入れられるか受け入れられないかで、世界は 180度変わってしまいます。
義理の親子の場合も同様で、親に好かれるか好かれないかは、子供にとっては死活問題なのです。
養育者は子どもにとって、もっともだいじな人だからです。
そして、恋愛と違うのは、子どもは、その賭けには、絶対に勝たなくてはいけない、勝たせなくてはいけないということです。
なぜなら、人は誰でも、無条件に愛されるという体験が必要だからです。
子ども時代の体験、それが人の一生の基盤になるのです。
息子の場合
夫の連れ子の息子は、元々おとなしい性格だと聞いていました。なので、それほど私が困るようなことが起こることはありませんでした。
しかし、控えめながら、試しの行動はあったように思います。
たとえば、雨の日に、駅まで迎えに来てもらいたいなと思うと、電話をかけてきて、とても遠慮しながら、敬語を使って「もし差し支えなかったら、駅まで来ていただくわけには・・・」というような留守電を聞いた時には、その丁寧さに驚きました。
それまでも私の申し出で、折々の送迎はしていたので不思議にも思えたのです。
その時はもちろん、すぐに駅に車で迎えに行きました。
問題は迎えに行く行かないではなくて、息子が私に頼みごとをしてみようかな、きいてくれるかな、という気持ちに応えるためでした。
息子の方には、試すほどではなくても、私に甘えようとしてためらう気持ちがあったのでしょう。
丁寧な言葉と敬語はその迷いや不安を表すものでした。
行ってあげなかったら息子はがっかりしたと思います。
彼は迷いながらも、私が来てくれる方に賭けて、電話をくれたのです。
だから私はそれに応えたのです。
電話をかけてくる息子
息子は他にも電話をよく使いました。
当時は、私は実家の売却のために不動産屋と電話連絡を毎日のようにしていたのですが、息子はその不動産屋の名前を使って、主人の携帯にではなくて、固定の方に「○○不動産です」と電話をかけてくるのです。
私の方はというと、何となく電話で話すのは気恥ずかったし、なぜ息子がわざわざそうするのかもよくわからなかったのです。
「雄太はなな子と話したくて電話をかけてくるんだよ」
と夫に言われて、ああやはりそうなのかな、と思いました。
成人した子はそうして私にふざけてみせて、それが許されているということで、私の愛情を確かめられていたのだと思います。
電話がつながるということにも、息子なりの、何か特別なイメージがあったようです。
私はそういうときは、成人した息子が小さい子どものように思えました。私に初めて会って5年が経っていました。
出会ってから5年---そう、私は25歳の雄太をいつも、私の小さい 5歳の子どもだと思っていました。