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親の精神的虐待の傷つきからの再生 愛と憎しみのアンビバレンスを越えて

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 親 虐待

こんにちは。昨日は、空気の抜けてしまった電動自転車のタイヤを取り換えてきました。
本格的に寒くなる前に、市内を漫遊中のなな子です。

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先週末に、母が初めて家に来ました。

母はまだ73歳で元気にしていますが、先月公正証書遺言を作ったので、その謄本を私に渡すという用事があったためです。

用事が終わって、夫と3人で食事に行きました。母の好きなレストランを予約しておいたのです。
母はおいしいと言って、とても喜びました。

そして食事を終わってコーヒーを飲んでいて、自分が今弾いている曲の話をしました。母はピアノ教師をしています。

私がちょっと席を立ちました。戻ってくると、母は夫と何かを話していたらしく、「なな子は、あんなに才能があったのにねえ」と言いました。「バイオリンの曲を作ったのもすごかったじゃないの」

過去形で子どもの長所を述べる母

母親 虐待

私は音楽の専門コースのある高校で、高校生の時既に作曲を専攻していたからです。
ピアノもバイオリンも幼少期から習っていました。

けれども私が高校生の時に両親が離婚、高校卒業と同時に、母は再婚することになったのです。

そのためかどうか、私は高校2年生の頃から、母が借りたアパートに一人暮らしをさせられていました。

専攻の作曲の先生が「受験の前は東京の音大の先生に習いなさい」と言われたのですが、両親が離婚前で、家の中の空気が不穏で、それどころではなかったのです。

そもそも、私は小学生の時から電車で2時間以上かけて、ピアノを東京の音大の先生に習いに行っており、長い期間、専門の教育を受けていたのですが、結局大学には行きませんでした。

そしてその頃は、母は音大を受ける人の受験指導を自分でも自宅でしていました。私が最初にピアノを習ったのも、もちろん母からでした。

「あんなに才能があったのにね」というのは、一見私の才を惜しむ言葉のように聞こえます。たぶん、同席していた夫にもそう聞こえたことと思います。

ですが、あとで思い出すと、母がいつもそういう言い方をするのに気が付きました。

私が以前体調を崩していたころには、「馬鹿でもいいから、丈夫な方が良かった」と言っていました。

この子は頭は良いと述べながら、丈夫ではないという短所を述べて言葉を終えるのです。

子どもに対するアンビバレントな感情

母親 虐待

それは結局子どもに対する愛と憎しみの相反する感情を同時に持つためです。
そのような心理を「アンビバレンツ=両価性」と言います。

相手に対する評価も感情も、自分では定めることができない。一つの事柄に二つの意味を持たせるダブルミーニングの言葉を発するのもそのためです。

しかもそれはひとり言ではなく私に向けられた言葉であるので、「コミュニケーション」であるのです。

もっとも、母は私と2人でいる時に、私にそう言うわけではありません。3人でいる時に、もう一人の人に向かって、娘をほめながら一方で貶めるわけです。

聞いている方の人は、たいてい良い方を聞き、悪い方は、親の一種の謙遜だと思うわけですが、そうではありません。

そして母が友好的な態度で、一方で暗に私に伝えていることは、次のことなのです。

「私はけっしてあなたを認めないし満足していない」
つまりそれは「私はあなたを愛していない」ということなのです。

愛と憎しみ 与えることと奪うこと

母親 虐待

アンビバレントを向けられた子どもが傷つくのは、それが常に親の愛情に絡むものだからです。

「あんなに才能があったのにね」というのは、「才能」という称賛を与えながら、同時にそれを過去形にして瞬時にはく奪しているわけなのです。

愛情をちらつかせながら、それを取り上げるのと同じことです。

母親が関心を向ければ、子どもは傷つけられると知ることになるのです。

子どもの人間関係への影響

養育者 虐待

愛情と同時に憎しみを受ける、矛盾するコミュニケーションを養育者から受けた子供は、まず母親との関係に苦しみます。

もっと悪いことには、いちばん身近な人がそうだと、他の人も皆そうだと思いがちになります。

そして、人に愛されると傷つくことになるという偏向した考えを植え付けられてしまうので、自分を守ろうと人間関係でも距離を保つようになってしまうのです。

受験日の2日前に離婚すると言った母の無意識

母は私に小学校の時から、多額の費用をかけながら、音楽教育を受けさせました。
当時の音楽の教育の費用は高額で、東京への交通費も入れて月に8万円はかかったと思います。

経済的な余裕もそうですが、子どもへの愛情がなければ、とてもかけられる金額ではありません。

それなのに、私が明後日が大学の学科の受験日だったその夜、母は以前から不満を持っていた父に離婚届けをつきつけました。

私は隣室でやりとりを聞いていましたが、父が「お前は、明後日なな子が受験だという時に何を言っているんだ」と呆れて言っているのが聞こえました。

それなので、母が離婚を言い出したのが、いつだったのかが記憶されることになりました。
それは1月の出来事でした。今思うと、あと1、2か月で試験は全部終わるはずでした。

つまり多年に渡って、母は私に「愛情」を与え続けた。そして、いよいよ大学に入るぞという時に、進学の機会を奪ったのでした。

「あんなに才能があったのにね」というのは、同時に、それは自分の責任ではないということも述べているのでした。

時系列的に振り返れば明らかなのに、母は私への行為に関しては、不思議なことに意識をしていないのでした。

虐待の連鎖

虐待 連鎖

実は母自身が、祖父に体罰を与えられて育った虐待の経験者です。
そして、母の下の妹は重い障害を持っていたため、両親は母をかえりみる余裕がありませんでした。

母は、両親の愛情を知らずに育ったのだと思います。

このような人に根深く残っているのは、他者否定以上に、実は自己否定の感情です。

子どもに対する虐待という形で現れているものは、むしろ自己否定の失望と抑うつを覆い隠すものなのです。

解離された感情

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母は時々「ひどいことをしてしまった」と言って、昔のことを思い出して電話口で泣くことがあります。

「親にないがしろにされる寂しさと怒り」、それを「娘が感じたもの」として、自分の感情の再体験をしているのです。

母は、祖父に殴られた、という事実を語ることはできますが、その時の自分の気持ちは、どこか置き去りになっているのです。

気持ちの深くにあって、目には見えにくいものの、多くはそれが虐待の根にあるものです。

母の言動を修正してあげることはできても、過去の出来事の修正は誰にもできません。
母が親を許せない気持ちは、誰かが直せることではないのです。

問題を持っている本人が、自分で気がついて進んでいく意志が必要です。

もし、これを読んでいる方で、私と同じように、あなたに否定的な養育者を持つ方がおられましたら、言いたいのです。

それは、あなたの問題ではなくて、養育者の問題です。
親に受け入れられないのは悲しいことですが、それは、親の方に理由があって、あなたのせいではないのです。

人に受け入れられないと思っている親自身が、あなたを愛さないのではなくて、誰のことをも愛せない、そのためなのです。

養育者 虐待

悲しみはなかなか取り除けなくても、人間関係は自分で選ぶことができます。
あなたを貶める人は肉親であっても避けましょう。

自分が傷つく人とは会わなくてもいいし、離れてもいいのです。
あなたがこだわりを捨てれば、あなたはいつでも自由です。

豊かで新しい関係はいつでも始めることができます。
これからは、あなたを支持してくれる人、あなたを愛してくれる人と歩みましょう。

さあ、勇気を出して。

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